2011年4月10日日曜日

この自由な世界で

市場経済が支配するこの世界で、他人の善意に自らの切実な希望をゆだねねばならない時ほど、つらい時はないでしょう。

福島県内では現在、「がんばろう ふくしま!地産地消運動」が展開されているということです。福島県の農産品を全国で食べて貰うために、まずは福島県民が率先してそれを食べよう、ということらしく、県内のスーパーや農協の直売所に「地産地消コーナー」を設置し、放射線検査で安全が確認できた野菜を販売しています。1日には地元出身の俳優、西田敏行さんが郡山市のスーパーマーケットに駆けつけ、佐藤雄平知事らとともに「イチゴやキュウリをほお張って県産品の安全性を訴えた」と報道されています。

この訴えが有効であるかどうか、それは福島県農家の努力にかかっているというよりも、福島県外の消費者にゆだねられています。もし私たちが、「絶対に安全な」野菜しか食べないと心に誓っているならば、そして福島県産の野菜を食べることは避けたいと考えるならば、福島県民は単に手近で採れた「危険な」野菜をじぶんたちで食べているというだけのことになってしまう。それは言うまでもなく、「地産地消」ということばのほんらいの意味を、正面から裏切る状況です。

もちろん、善意の消費者が福島県産品を買い支えようとすることは、じゅうぶんに考えられるのだけれども、それだけで福島県産品が市場で暴落している状況を変えられるのだろうか、ということも気になります。一部の「幸運な」野菜が、少数の善意の消費者のもとに届くということは、決して無意味ではないにしても、決して十分ではありません。

市場経済が支配するこの世界で、自らの切実な希望を、他人の善意にゆだねることは非常につらいことであるし、またその善意にすがることができるのは、一握りの幸運な人だけかも知れないのです。これは私たちひとりひとりが、福島県産の農産品を選ばないという選択肢を持っている限り、変わることがない現実です。

したがって、私たちはほんとうに福島県産の農産品を選ばないという選択肢を持っているのか、ということが問われねばなりませんが、その前に少し回り道をして、関西を中心に放映されている「探偵!ナイトスクープ」という番組のことに触れておきたいと思います。「がんばろう ふくしま!地産地消運動」で先頭に立つ西田敏行は、この番組の司会者としても(少なくとも関西地方では)よく知られています。

「探偵!ナイトスクープ」は、視聴者から寄せられた悩みや疑問を、「探偵」を名乗る出演者達が解決してゆくという、比較的単純なスタイルの番組なのですが、そこには暗黙の、しかし明白なルールが貫かれています。それは、依頼者が求めていることがどれほど寄り添いにくいものに見えても、必ず出演者は全力でそこに寄り添う、という一貫した態度です。

こういう説明は解りにくいと思うので、「探偵!ナイトスクープ」視聴者のあいだでは良く知られているエピソードをひとつ挙げておきます。だいぶ以前のことですが、うちの娘を何とかルー大柴に会わせてやって欲しいという依頼が、この番組にありました。というのも、その娘さんが大のおじいちゃん子で、そのおじいちゃんが亡くなって以来、元気がない。じつはおじいちゃんはルー大柴にそっくりなので、会えば元気が出るのではないかという依頼です。

依頼を受けてその女の子のうちに出向いたルー大柴は、明らかに自らの役割に困惑していて、最初は「めそめそしないで、前を向いていこうよ」みたいなことで済ませようとします。しかし次第に彼が女の子の要求に応じて、おじいちゃんの役割を果たそうとするうちに、女の子はあれほど会いたかったおじいちゃんが、確かに目の前にいると思えるような、短いけれどもかけがえのない時間を得ることになります。

「探偵!ナイトスクープ」には、この他にも風変わりな依頼が次々に寄せられます。そして番組の出演者たちは、常にその依頼を切実なものとして受け止め、そこに寄り添うことをみずからに課している。そのことによってこの番組は、単に風変わりな人々を笑いものにするバラエティ番組以上のものとして成立しています。

私たちがこの番組から学ぶことができるのは、次のようなことです(なお念のために言っておきますが、これは教育番組ではなくバラエティ番組です)。私たちはこの自由な世界で、さまざまな生き方を選ぶことができるし、またさまざまな価値を信じることができる。そのような世界であるからこそ、私たちは他人が選んだ違う生き方、他人が信じる違う価値観に寄り添う必要がある。そしてそれは、単に私たちの善意からではなく、義務としておこなわれなければならない時がある。

さて、回り道が過ぎて論旨が見えにくくなってしまいましたが、ここでようやく本題に戻るなら、次のようなことが言えると思います。第一に、通常よりもいくぶん高い放射線の影響下で栽培された野菜を、多くの人に食べて欲しいという福島県農家の訴えについて。それを何か風変わりな依頼のように受け止めるのではなく、切実な要求として理解することが必要です。つまり「あそこではしばらく農業や漁業は止めた方がよい」という前提から出発するのではなく、「ここで以前と同じように野菜を作りたい」という希望に寄り添うことから考え始めることです。

そしてもうひとつ、もし私たちの社会が、世界でも有数の「市場」である以上の何かとして成立しているはずだと私たちが考えるならば、検査を経て安全性が確認された福島県産の農産物を買わないという選択肢を、私たちは持っていないのではないかと、真剣に考えてみることだと思います。「選択肢を持っていない」という言い方は少しわかりにくいんですけど、 要するに政府や公的機関が、福島県や茨城県を含む東北各県から優先的にものを調達したり、風評被害を受けている地域の産品が市場で流通することを、何らかのかたちで保証するような制度があっても良いのではないかと、そう思います。

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